【2021年最新】ブラウザ12種を徹底比較。とにかく軽いおすすめはコレだ!
おはようございます!ブラウザって、パソコンやスマホにデフォルトで入ってるのを使ってる人がほとんどだと思うのですが、一旦いろんなブラウザが選べる事を知ってしまうと「どれがいいんだろう?」と迷いますよね。
そこで今回は、いろんなブラウザを比較検討してみて、オススメはどれか決めていきたいと思います。
俗に言う5大ブラウザ(Google chrome、firefox、IE、オペラ、safari)に加えて、他にも有名だったり特筆すべき点があるブラウザ、Microsoft Edge、Blisk、Vivaldi、Lunascape、mxnitro、Chromium、Torch Browserの計12種類を比較していきたいと思います。
ちなみに記事中で使われる「早い!」「遅い!」などの表現は、測定ツールなどで測ったデータや、それだけではわからない使用感、一般的な評判などを総合して書いています。
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目次
- ・Google chrome
- ・Internet Explorer
- ・Firefox
- ・Opera
- ・Microsoft Edge
- ・safari
- ・Blisk
- ・Vivaldi
- ・Lunascape
- ・mxnitro
- ・Chromium
- ・Torch Browser
- ・まとめ
・Google chrome
いきなりですがかなり高性能なブラウザ。とりあえず迷ったらこのchromeを使うと間違い無いでしょう。
ページの読み込みが早く、立ち上がりも早いです。
また拡張機能などもあるらしく、何か欲しい機能があれば追加できます。私は特にデフォルトでも不便は感じませんでしたが。
・Internet Explorer
皆おなじみ、パソコンを買うとデフォルトで入っているブラウザ。Microsoftの元標準ブラウザです(現在の標準ブラウザのMicrosoft Edgeについては後述)。
私も長い期間お世話になったので酷評するのもアレですが、はっきり言って速度は遅く、特に使い勝手もよくないブラウザです。
よく「IEにしか読み込めないサイトがある」などと言われますが、最近はそういうサイトも減ってきた気がします。一応念のために入れておけばいい、という程度のブラウザでしょうか。
・Firefox
アドオンと呼ばれる拡張機能が豊富なブラウザ。
暇な時にいろんなアドオンを入れてみると面白いです。中には便利なアドオンもたくさんあります。
しかし個人的に他のブラウザを使ってみても不便に感じる事はないので、本当に必要かと問われれば微妙かも知れません。
またページの読み込みなども早くはないです。その辺を強化できるアドオンもありますが、使ってもそこまで早くない。少なくとも他ブラウザの方が早いです。
飽くまで高スペックなパソコンを使っていて「どんなブラウザでも重さを感じないぜ」という人向けかも知れません。
・Opera
初めて使った時は衝撃でした。めちゃくちゃ軽いです。
私も昔、低スペックで動きが遅くてイライラするパソコンを使っていたのですが、このブラウザを使ってから普通に快適にネットサーフィンできるようになったのを覚えています。
使い勝手に関しては、まぁシンプルで可もなく不可もなくといったところでしょうか。拡張機能には乏しいと思いますが、必要な機能は揃ってます。
追記:仮想通貨の不正マイニング対策という機能が追加されたようです。仮想通貨に興味がある方にはオススメです。
・Microsoft Edge
IEと比べて少し機能をいじってはいますが、まぁそこまで早くもなく、使い勝手がずば抜けて良いわけでもないです。
まだまだ開発中という事もあり、これからの発展に期待。
・safari
iPhoneなどにデフォルトで入ってるブラウザ。
しかしPC版としてはあまり特筆すべきものはありません。一部のOSでは使えない場合も。
・Blisk
これ、サイト製作者にはめちゃくちゃ便利です!
なんと普通のWebページを開きながら、それをスマホで見た場合にどう表示されるか、というのを確認しながら作業できます!
私もブログを書く時は結構このブラウザを使ってます。
・Vivaldi
Operaの元CEOが作ってるらしいブラウザ。
ちょっとググってみると色んなサイトで絶賛されてますが、個人的には特に早わけでもなく、自慢の機能もほとんどがFirefoxのアドオンにもあるものなのでそこまで驚きはないです。
比較的新しくできたブラウザなので、まだまだ様子見と言ったところでしょうか。
・Lunascape
日本で作られてる国産ブラウザだそうです。セキュリティが強いのが売りだそうです(私はあまり詳しくないので責任は持てませんが)。
結構昔からあって有名なブラウザなのですが、正直あまり特筆すべき事はないかなと。デザインがとても綺麗な事ぐらいでしょうか。
・mxnitro
世界最速のブラウザらしいです。使ってみると確かにサクサクと動きます。
しかしまだベータ版らしくかなりシンプルです。特に便利な機能も無さそう。
またパソコンが古くなってきて動きが遅くなってきた時にこのブラウザを使ってみると真価を実感できそうかなぁーと。
・Chromium
Google Chromeのベースとなったブラウザ。Chromeよりもいくつかの機能が減ったシンプルなブラウザです。ちょっとChromeでもゴチャゴチャして感じるという人にはオススメですね。
・Torch Browser
こちらもChromeと同じく、Chromiumをベースにした、最近シェアが伸びてるブラウザ。
デフォルトでいろんな機能が付いてるところが魅力です。Chromeを一からカスタマイズするのが面倒な方にはオススメです。
・まとめ
そんなわけで12種の使用感を書いてきました。
その上で結局どれがオススメなのかと言えば、普通にネットを使ってて重さを感じない人はChromeやfirefoxでいいと思います。
しかしパソコンが古くなってきた!という人は、一度Operaを使ってみると世界が変わるかもしれません。
飽くまで私個人の感想なので参考程度にお願いします。
また何か新しいブラウザが出てきたら追記していきたいと思います。
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【超厳選】とにかく聞いてほしい!YouTubeで聞ける神曲10選!
おはようございます!今回の記事は筆者がただただ大好きな音楽を紹介するという、それだけの記事です(笑)。
単なる趣味の押し付けみたいになってますが、本当に神曲ばかりなので聞いていただきたいなと思います!全てYouTubeで聞ける曲を集めました。
目次
1.季節は次々死んでいく
amazarashiさんの曲。私がこれまで聞いてきた全ての音楽の中でも一番好きかも知れない、本当に好きな曲です。
とにかく歌詞が大好きで、何度励まされたかわかりません。
「行こうか戻ろうか悩みはするけど しばらくすれば歩き出す背中」「何はなくとも生きていくのだ」など、まさに人生の全てを説いたような歌だと思います。
人間は結局、一人で生まれて一人で生きて一人で死んでいくわけです。そういう虚無の中で、自分には何もないけど、とりあえず歩き続けなければならない。そんな気持ちにさせてくれます。
2.フラレガイガール
原曲はさユりさんの曲で、こちらは春茶さんという方がカバーした動画です。ぜひ原曲も含めて両方聞いていただきたいです。
とにかく美しいですね。曲も歌声もこの挿絵も、全てが綺麗で、甘美な世界に浮いているかのような錯覚に陥ります。
女性目線の曲なのですが、なぜか男性の私でもすごく切なさが伝わってくる、そんな曲です。
3.愛を伝えたいだとか
あいみょんさんの曲です。私はあいみょんさんがとにかくメチャクチャ好きで、全ての曲をリピートしまくってます。
その中からどの曲を紹介しようか迷いに迷ったのですが、今回はこの「愛を伝えたいだとか」を選ばせていただきました。メロディーが心地よくてスッと頭に入ってきて、かつあいみょんさんの曲らしく、聞けば聞くほど良さが伝わってきます。
この切なさの波というか、聞いてて共感で押しつぶされそうになります。
もし良いなーと思っていただければ、他の曲も聞いていただきたいなと思います。
4.秒針を噛む
ずっと真夜中でいいのに、略してずとまよさんの曲です。
ずとまよさんは「インディーズ時代」なんてものが存在しないぐらい、急に現れて鬼才を発揮して凄い勢いで有名になって来ましたね。驚く限りです。
ずとまよさんも全ての曲がめちゃくちゃ良いのでどれを紹介するか迷いましたが、やはり代表曲の「秒針を噛む」にさせていただきました。すごくテンポがよくて、ずっと聞き続けていられるほどクセになる曲です。
でも他の曲もとにかく良いので、聞いていただきたいですね。
5.ヒッチコック
ヨルシカさんは二人組のバントで、n-bunaさんという方が作詞作曲と編曲、ギターを担当し、suisさんという方がボーカルを担当しています。
n-bunaさんは作曲家として昔から大ファンでしたが、ヨルシカを結成してからsuisさんのどこかエモさのある歌声も相まって、非常にメジャーになって来たように思います。自分の好きな方々がこうやって注目されるようになるのは嬉しいですね。
ヨルシカさんの曲の中でもすごくオススメなのがこの「ヒッチコック」です。何となく人が抱えてる郷愁感、喪失感、そういうものが言葉にされていると思います。
ヨルシカさんの曲全てに言えることですが、「雨の匂いに懐かしくなる」「夏が近づくと胸がざわめく」など、人間の何とも言えない感傷を言葉にするのがすごく上手いです。
6.ライラック
なんとなく今生きづらい人に聞いてほしい、胸がスッと空くような曲。風のような曲調もすごく爽やかです。
「幸せはピンボケする不良品アイシャッター 苦しい事は繊細に映る高画質レンズで 精一杯やってんだ」なんて部分は、本当に共感できます。似たような思いをしている人が他にも居るんだなぁ、なんて思える曲です。
美波さんも最近急に有名になって来た方の一人ですね。これからもっと多くの人に知っていただきたいなーと思います。
7.Don't you want me ft. Such
たまたまYouTubeで見つけた曲ですが、とにかく最高です。もう中毒性がヤバすぎて最初は常にリピートしてました。
製作者のPSYQUIさんについて調べてみましたが、かなり謎に包まれた方のようですね。しかしまごうことなき神曲です。この「たまたま見つけてしまった感」がヤバい。
8.妄想感傷代償連盟
DECO*27さん原曲で、あらきさんとnqrseさんという方がカバーした曲です。
所謂VOCALOIDの曲を「歌ってみた」というジャンルになります。これまで本当に何千曲と聞いてきたと思いますが、その中でもおすすめできるのがこの曲ですね。
まずDECO*27さんの曲の歌詞やテンポ、めちゃくちゃクセになります。この独特な雰囲気が堪りません。まさにDECO*27さんにしか出せない世界だなと。
そしてVocalのお二人のアレンジが本当に素晴らしいんですよね。この競い合うように歌う感じ、でも喧嘩せず調和が見事に取れてる感じ。恐らく500回ぐらいリピートしてる気がします。
9.命に嫌われている
こちらも歌ってみたというジャンルになります。もう1000回ぐらいリピートしてると思います。この流れるような曲のテンポと、柘榴さんの透き通った声がすごく合ってると思います。
何よりこの歌詞です。初めて最後のサビを聞いた時は涙が止まりませんでした。
普通に聞くとすごく陰鬱とした気分になるのですが、この疾走感というか、格好良さはなんでしょうか。でも軽くなる事もなく、確かに感性に訴えかけてくる。まさに奇跡のような曲ではないでしょうか。
10.Ref:rain
最後にAimerさんの曲を紹介させていただきたいと思います。Aimerさんは15歳の時に声帯を痛め、半年ぐらい発声できない時期が続いたそうですが、その後の回復と工夫の中で現在の声を手にしたと言います。
その中でもどの曲を紹介するか迷ったのですが、やはりこのRef:rainが一番説得力のようなものがあります。曲も歌声も本当に美しくて純粋さがあって、なんだか自分に足りないものを全てまとめて見せつけられているような、そういう崇高さがあります。
ぜひAimerさんの他の曲も聞いていただきたいですね。他にも「六等星の星」や「寂しくて眠れない夜は」なども絶対感動すると思います。
・まとめ
以上、おすすめの曲を紹介させていただきました。なぜ10曲なのかというと、やはり動画を載せすぎるとページが開かなくなるんですよね。
それにしても選ぶのに迷いに迷いました。もっと紹介したい曲が軽く100曲ぐらいあるので、また近いうちにまとめさせていただきたいと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました!
最強の武将は誰!?武勇、知略、統率力など、戦国武将ランキング!
画像引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sekigaharascreen.jpg
数々の名将がしのぎを削った戦国時代。
そんな戦国時代でも「最強の武将は誰だろう?」と、歴史好きならば一度は考えた事があるのではないでしょうか。
しかし議論しても大抵は答えが出ません、なぜなら「最強」の尺度の置き方によってどうとでも言えてしまうからです。
そこで今回は、
①武勇編
②知略編
③内政編
の3つに大きく分けて、更にそれぞれの編をいくつかの部門に分けて紹介したいと思います。例えば武勇編ならば、総大将部門、一指揮官部門、一兵卒部門など、それぞれ最強の武将を決める。
そして、それらを分析した上で、最終的に最強の武将は誰なのか?という結論を出したいと思います。
「要するに最強の武将って誰だよ!?さっさと言え!」という人は最後まで飛ばしてください。
また、もちろん筆者の主観でランキングをつけてるので、好きな武将が載ってなくても怒らないでください。
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目次
①武勇編
・総大将部門
合戦全体を指揮したときに一番強いのは誰か?
3位 上杉謙信
画像引用:上杉謙信 - Wikipedia
上杉謙信の何がすごいかと言えば、少ない兵力で勝ち続けた事です。
当時の新潟は今のような米どころではなく、あまり兵糧を用意できませんでした。それでも謙信は合戦では高い勝率を誇り、勝てなかった合戦でも何とか引き分けに持ち込む事が多かったわけです。
中でも川中島の戦いは有名ですね。あの武田信玄を相手に、数で劣っているにも関わらず武田信繁や山本勘助を討ち取って痛み分けに持ち込みました。武田陣営の兵糧を炊く煙がいつもより多く登っているのを見て、「これは奇襲が来る」と読んで勘助の啄木鳥戦法を見事に打ち破りました。
もう一つ有名な戦といえば、柴田勝家を返り討ちにした手取川の戦いです。織田軍が川を渡りきるタイミングで謙信率いる上杉軍が現れ、準備もできておらず逃げる事も困難な織田軍は大ダメージを受けました。
このように武田信玄や柴田勝家など、かなりの手練を相手に勝ち続けたというのが上杉謙信の凄いところです。
2位 毛利元就
画像引用:毛利元就 - Wikipedia
謀略家として有名な人物。しかし合戦の方も強く、なんと勝率では戦国大名でナンバー1です。
中でも有名なのは厳島の戦いでしょう。たった4千から5千の兵力で、2万とも3万とも言われる陶晴賢軍を打ち破ってしまいます。
元就のような知略タイプの武将は、普段からコツコツと内政をして相手より多くの兵力を用意して勝つというパターンが多いです。しかし元就の場合は内政はもちろん、厳島のように絶望的な戦いもひっくり返してしまいます。
その粘り強さと、普段の勝率の高さも相まって2位という事にしました。
1位 朝倉宗滴
知る人ぞ知る名将。
浅井亮政という、これまた中々の名将がいるのですが、その亮政の守る小谷城の一角に5ヶ月も居座ったという話もあります。
しかしやはり一番有名なのは九頭竜川の戦いでしょう。
なんと30万人もの一向宗を相手に、宗滴はたった8千人から1万6千人ほどの軍勢で戦います。
そして夜襲を仕掛け、見事勝利してしまいます。
この時の一向宗の数や強さには諸説あるのですが、多少の幅があってもとんでもない大逆転だと言えるでしょう。
そしてその後もなんと79歳まで戦い続け、陣中で病没したと言います。
数々の戦陣訓や家訓も残しており、もっとも敵に回したくない武将は誰か?と考えた時に朝倉宗滴が浮かんだので、1位にしました。
・一指揮官部門
全軍の総大将ではなく、数百から数千ほどの一部隊を指揮した場合に強いのは誰か!?
世間で「最強の武将」というとこの定義である場合が多いです。
3位 立花宗茂
「東国最強」と言われていた本多忠勝と並び、西国最強と言われていた武将。
宗茂の最初の晴れ舞台は、やはり立花山城の戦いです。たった3千の兵と籠城し、九州統一を目前としていた4万の島津軍を相手に奮戦。
本陣を奇襲するなど遊撃戦を展開し、一時は撤退させるなどして、見事に豊臣秀吉の援軍が来るまで持ちこたえます。
豊臣政権下でも朝鮮出兵などで活躍。特に碧蹄館の戦いは有名で、敵の明軍の兵力は不明な点が多く、4万とも15万とも言われますが、とにかく宗茂はたった3千の兵で撃破してしまいます。
秀吉没後も、関ヶ原の戦いで大津城を攻略するなどの活躍を見せますが、属していた西軍が負けたため改易されてしまいました。
しかし改易後も島原の乱に参加したり・・・などと、とにかく武名を上げていくと本当にキリがありません。
まさに西国最強の武将に相応しいでしょう。
2位 本多忠勝
画像引用:本多忠勝 - Wikipedia
よくゲームなどでも「戦国最強!」と言われている武将。
武田軍に「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」と評された他、織田信長や豊臣秀吉にも評価され、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑にも数えられています。
姉川の戦いで朝倉軍1万に単騎で突撃したり、三方ヶ原の戦いで3千人を率いて殿をして2万7千の武田軍を食い止めたり、小牧・長久手の戦いではたった500の兵で16万の豊臣軍の前に立ちはだかったり・・・、
と、この武将の武名も上げていくと本当にキリがありません。
しかもこれだけの戦火をくぐり抜けて、なんと戦で傷を負った事は生涯なかったそうです。
さすがに話を盛られているのではないか、と思いますが、とにかくものすごい武将であったのは確かでしょう。
1位 島津義弘
画像引用:島津義弘 - Wikipedia
やはり1位は島津義弘以外に考えられません。
義弘の有名な武勇は2つ。一つは朝鮮出兵の泗川の戦いで、七千の兵を率いて二十万の明・朝鮮の大軍を撃破し、敵からも「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられます。
徳川家康もこの戦いを「前代未聞の大勝利」と評価しています。
そしてもう1つは、「島津の退き口」と呼ばれる撤退戦です。
関ヶ原の戦いで、義弘は様々な事情があって不本意ながらも西軍についていました。
しかも西軍総大将の石田三成にも軽視され、戦意を失った義弘は戦いに参加しようとしませんでした。
そして小早川秀秋が寝返り、西軍が総崩れとなって石田や宇喜多など西軍主力が敗走する中、義弘も撤退を決意します。
そしてなんと後方に撤退するのではなく、前方の伊勢街道を目指して、敵軍の正面に飛び込んでいきます!
この時、義弘の兵力はたった300、敵の東軍は7万だったと言われますが、まずは前方の福島正則隊を突破し、東軍本陣の徳川家康の陣の前まで迫ったところで転進し、伊勢街道を南下していったと言います。
もちろん転進してからも、本多忠勝や赤備えの井伊直政、松平忠吉などの徳川の猛者が追撃してきましたが、義弘は「捨て奸」といって足止めの兵を配置しながら撤退し、なんとか逃げ切りました。
歴史にifは禁物だと言われますが、もし義弘が十分な兵を率いて本格参戦してた場合、歴史は大きく変わっていたのではないかと思います。
義弘も例によっていろんな武名(たとえば九州での戦いなど)がありますが、書いてくとキリがないぐらいなので割愛します。
・一兵卒部門
単騎で強かったのは誰か!?
上泉信綱や塚原卜伝、柳生宗厳、足利義輝、宮本武蔵、佐々木小次郎などの剣豪は殿堂入りという事で。。。
3位 佐竹義重
北条家との戦で先陣に立ち、一気に7人も切り伏せたという事から「鬼義重」と呼ばれていました。
他にも、同じく北条家との戦で敵の騎馬武者を叩き割ったりなどの逸話があります。
伊達政宗とも互角以上に戦った人物ですし、恐ろしい人物であったのは間違いありません。
2位 可児才蔵
宝蔵院流という槍術の流派の開祖・胤栄に直々に槍術を学んだとされる、槍の名手。
戦いでは討ち取った首を持ちきれず、笹を担いで討ち取った相手の口に笹の葉を加えさせ「笹の才蔵」と呼ばれました。
関ヶ原では17人もの首を取りました。これは東軍で一番多く、家康からも賞賛されたといいます。
1位 真田幸村
画像引用:真田信繁 - Wikipedia
真田丸の影響もありこの武将を入れたかった・・・というのもありますが、感情論だけではなく、個人として相当強かったのも確かでしょう。
第二次上田合戦では夜討ちや朝駆けなどのゲリラ戦を主導していたそうです。
そして大阪夏の陣でも、16万とも言われる徳川勢に突撃して本陣まで攻め込み、「日本一の兵」と呼ばれます。
十文字槍の達人という事もあり、自ら先陣を切って突っ込んでいった武将が実は少なかった戦国時代において、やはり個人の武という点でも突出したものがあったのは確かでしょう。
大阪夏の陣での活躍がよくピックアップされますが、それまでの石田三成や大谷吉継、直江兼続、伊達政宗とのストーリーももっと知っていただきたいですね。
②知略編
・軍師部門
主君の右腕として、参謀役としてもっとも優れていたのは誰か?
3位 太原雪斎
今川家を軍事・内政の両面から支えた名軍師。今川義元や徳川家康の教育係としても有名です。
そしてあの甲相駿三国同盟の立役者だと言われています。
実は甲相駿三国同盟は今川家にもっともメリットが大きい同盟で、武田家は太平洋へ出られず、北条家は上洛の道を閉ざされ、今川家だけが背後を固めて上洛に専念できるという同盟でした。
こうした今川有利な同盟を組めたのは、やはり当時は今川家がもっとも影響力が強かったという事でしょう。
信玄率いる武田家や氏康率いる北条家を相手に優位に立ち、外交でも有利な条件を押し切ってしまう手腕は流石といえます。
特に武田信玄は今川家には完全に一目置いていて、一切手を出せなかったそうです。あの山本勘助も存命中であるにも関わらずです。
ちなみに山本勘助は雪斎没後に「今川家の事、悉皆坊主(雪斎)なくてはならぬ家」とも語っています。
また、三国同盟の締結後は武田と上杉の戦いでも今川家は援軍を出してますし、間接的には上杉謙信や宇佐美定満なども翻弄していたという事でしょう。
尤も、上記に挙げた面々とどのぐらい接点があったのかは不明ですが、戦国時代でももっとも群雄割拠だった時代において、今川家を頭一つ抜けた名家に仕立て上げた手腕、功績はとてつもないと言えるでしょう。
2位 竹中半兵衛
画像引用:竹中重治 - Wikipedia
言わずと知れた名軍師。
斎藤家の家臣時代には、十面埋伏陣と呼ばれる伏兵戦法で織田信長を翻弄したり、稲葉山城をたった16人で奪取したというエピソードがあります。
その後、秀吉に従えてからも数々の功績を挙げますが、程なくして36歳という若年で病没。
実はいうとそんなに実態がわかってない武将だそうですが、江戸時代の講談で黒田官兵衛とともに天才軍師のイメージが固まり、現在も非常に人気の高い武将です。
1位 黒田官兵衛
秀吉の天下統一の一番の立役者と言っていいでしょう。彼が中国大返しを進言しなければ、秀吉が天下を取っていた確率は低い。
この方もエピソードを挙げ始めるとキリのない武将ですが、中国大返し以外では小田原征伐で北条氏政を説得し、無血開城させたという話が有名でしょう。
とにかく歴史の要所で活躍しているので、官兵衛がいなければ日本の歴史は大きく変わっていたと思われます。
あと個人的に知っていて欲しいのは、官兵衛は関ヶ原の合戦のときは九州にいましたが、この時は兵を集めて大友家などを破り、ものすごい勢いで九州を進軍していた事です。
関ヶ原は小早川秀秋の寝返りで6時間で終わってしまいましたが、当初は一ヶ月は続くと予想されていました。
もし関ヶ原が予定通りに長引いて官兵衛が九州を統一していれば、家康に並ぶ勢力になるわけですし、これまた日本の歴史は大きく変わっていたでしょう。
そんなわけで、やはり飛び抜けて知略に優れた武将だと思うので1位にしました。
・謀略家部門
謀略の限りを尽くして成り上がった武将たち。
3位 斎藤道三
謀殺や毒殺、追放などを駆使し、油売から一国の城主にまで成り上がった武将。
北条早雲、松永久秀と並んで戦国三大梟雄と呼ばれるほどの謀将ですが、そもそも秀吉などに代表されるように戦国時代は成り上がりの時代ですし、暗殺の数も(2位1位の武将と比べて)そんなに多くはないので3位にしました。
娘の農姫は織田信長の正室。道三は信長と初対面で才能を見抜いたといいます。
2位 宇喜多直家
ミスター暗殺。毛利元就や尼子経久と並んで「中国三大謀将」に数えられています。10人程の人間を暗殺した武将(道三はわかってる範囲では2人程)。
またその暗殺もバラエティーに富んでおり、日本で最初に鉄砲による暗殺をしたのは直家だそうです。
暗殺の相手も娘婿や嫁の実家などであり、いかに残忍な人物であったかがよくわかります。
時代が時代とはいえ「それ、暗殺までする必要あったの?」という場合もあり、ひょっとすると殺人を快楽として楽しんでいたのかも知れません。
直家の実弟の宇喜多忠家は、兄と合うときは必ず鎖帷子という鎧のようなものを着ていたといいます。
1位 松永久秀
画像引用:松永久秀 - Wikipedia
ミスター謀略。戦国時代の謀略家と言えば真っ先に名前が上がる人物。
松永久秀は天文2年(1533年)頃、三好家の当主である三好長慶に従えます。
その後、三好家は紆余曲折があって細川晴元や将軍足利家と敵対するも、久秀の活躍もありなんとか細川家や足利家を撃破します。
それでも長慶は将軍家を蔑ろにせず、なんとか和睦して将軍家を立てつつも自らが実権を握るのですが・・・、
ある日突然、長慶の弟の三好一存が急死します。
続いて同じく長慶の弟の三好義賢が戦死し、長慶の嫡男である三好義興も病死。
三好家の後ろ盾となってた細川氏綱(同じ細川姓でも晴元と対立して長慶に協力してた人物)も病死してしまいます。
この相次ぐ死去に恐らく久秀が絡んでいたとされています。とにかく亡くなった三好家一門の役割を久秀が引き継ぎ、久秀の権力は拡大していきます。
その後、久秀は長慶の最後の弟である安宅冬康に濡れ衣を着せて謀殺。そしてついに長慶も病死してしまいます。
長慶の死後、久秀は「三好三人衆」という三好家の有力者と手を組み、長慶の甥の三好義継を担いで実権を握ります。
そしてその後、久秀は三好三人衆と共に上洛し、なんと長慶が立てていた将軍家を襲撃。将軍・足利義輝を殺害していまいます。これがあの永禄の変です。
この時に抜け出した義輝の弟・義昭が織田信長に助けを求め、それが信長上洛のキッカケになるのですが・・・、
とにかくこの後、久秀は近畿の覇権を巡って三人衆とも対立し、勢力争いを繰り広げる事になります。
その争いの中で久秀は三人衆が陣を張っていた東大寺を奇襲、なんと東大寺大仏殿を焼き払って大仏様の首も落ちてしまいます。
後に織田信長が徳川家康に松永久秀を紹介するとき、この「三好家乗っ取り」「将軍殺害」「東大寺焼き討ち」の3つを指して「この男は常人にはできない大罪を3つも犯した」と語ったそうです。
しかしその後、三人衆との争いも久秀が劣勢となっていきますが、その時ちょうど織田信長が上洛。久秀は信長に降伏して家臣となりますが、その後なんと2度も信長を裏切り、二度目の裏切りのときに追い詰められて爆死したといいます。
とにかく、こんな風に目的の為ならとことん手段を選ばない残忍な武将がいたのも戦国時代の面白さかも知れません。
③内政編
・大名部門
もっとも政治力に長けていた大名は誰か?
3位 武田信玄
治水工事や金山開発の達人。
信玄が作った堤防「信玄堤」は今も残っています。この堤防によって水源が作られ、戦でも重要となる兵糧が作られました。
また甲州金という独自の貨幣制度を作り、それが江戸時代の貨幣制度の参考になったとも言います。
2位 北条氏康
画像引用:北条氏康 - Wikipedia
内政家として有名な人物。
四公六民や目安箱、官僚機構の創設など、領民中心の政治をしていたようです。
なので北条家の後に関東を治める事になった徳川家康は、領民が北条家を慕い続けていたのでなかなか統治に苦労したようです。
また秀吉よりも先に検地を行ったそうです。
江戸幕府も氏康の政治を見習っている部分があり、先進的な人だったのかも知れません。
1位 織田信長
画像引用:織田信長 - Wikipedia
1位はやはりこの方以外に考えられません。
楽市楽座や関所の廃止など、非常に大胆な政治をしていました。
また、兵農分離によって収穫期に関係なく戦を起こせるようになったのも大きいでしょう。
また南蛮貿易も積極的に推進しましたし、とにかく革新的な政策が次々思い浮かぶのは本当に凄いなと思います。
・奉行部門
大名の下で実務面を支えた方々。
3位 石田三成
画像引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ishida_Mitsunari.jpg
石田三成といえば関ヶ原の戦いの西軍大将として有名ですが、検知や外交交渉、諸大名の揉め事の解決など、実務で豊臣政権を支えました。五奉行の筆頭である点も敏腕さの証左と言えるでしょう。
どうしても「切れ者だが人付き合いに難があり、多くの武将の反発を買った」というイメージがありますが、江戸時代に徳川を脅かした人物として悪く書かれていたのは事実であり、後世の創作による点が大きいでしょう。
実際は島左近のように三成に忠誠を誓った家臣、大谷吉継のように運命を共にしした盟友もたくさんいます。宇喜多や毛利、上杉を曲がりなりにも動かした事からも、そこまで悪い人物ではなかったのかな、と思います。
2位 丹羽長秀
織田家に無くてはならない存在として「米五郎左」と呼ばれました。とにかく内政を重視する織田信長に内政面で重用されていた事からも、相当な実務家であった事は間違いありません。
安土城で普請奉行などの行政の仕事をそつなくこなし、合戦では兵站で大いに活躍しました。
「戦は準備が8割」と言われる事もありますが、まさに内政や兵站の重用さを考えても、織田信長の天下統一の影の立役者だった事は間違いないでしょう。
1位 大久保長安
もともとは武田家で猿楽師をしていましたが、信玄に見いだされて家臣となり、黒川金山の開発などに従事します。
武田没後は徳川家に使え、甲斐復興の実務を担い、わずか数年で甲斐を復興させました。家康が関東に移ってからは関東代官頭に任命されます。
そして関ケ原の戦いの後、豊臣家の直轄地だった金山が徳川家のものになった事もあり、大和代官、石見銀山検分役、佐渡金山接収役、甲斐奉行、石見奉行、美濃代官などを、なんと兼任で任されます。
更に佐渡奉行や所務奉行にも任命され、ついに年寄(後の老中)にまで登り詰めます。その後に伊豆奉行などにも任命され、「天下の総代官」と呼ばれるようになります。
徳川家直轄の150万国を実質的に支配し、里程標を考案したり、土地台帳を作成したりと、現代にも通じる優れたシステムを作りました。
ほぼ外様のような立場から唯一老中に登り詰めた存在であり、江戸幕府の礎を築いた数々の名奉行の中でも屈指の切れ者だった事から、選ばせていただきました。
●結局、最強の武将は誰か?
さて、最強の武将なんて定義によって何とでも言えるんだ、という事を説明してきましたが、
その上で、あえて最強の武将を選ぶなら織田信長だろうなと思います。
なぜなら織田信長がいないと戦国時代は終わらなかったからです。
というのも、戦国大名が支配した領地を石高にしてみると、
竹田信玄は130万石、上杉謙信は145万石、毛利元就は120万石程度だそうです。
しかし織田信長が支配した領地は、なんと600万石から800万石だと言われています。
秀吉や家康はそれ以上の領地を手にしましたが(直轄地という意味では少ないかも)、
秀吉は信長の地盤を引き継いだし、家康も秀吉の地盤を引き継いだわけで、
やはり信長が存在しなければ秀吉や家康の天下も無かったでしょう。
また、信長の凄いところは、戦は始まる前の段階で決まるというのを理解していた事です。
長篠の戦いが象徴的ですが、これでもかというぐらい準備を徹底して戦を起こす。
凄いのは、信長は若い頃に奇襲で今川義元に大逆転を果たしたのに、それでもその経験に酔わなかったところです(もっとも桶狭間でも入念に準備をしていましたが・・・)。
また、秀吉や蒲生氏郷の才能を見抜いて重用したり、他にも柴田勝家や丹羽長秀、滝川一益、前田利家などを適材適所に配置するトップとしての手腕もすごい。
そんなわけで、この記事では織田信長が最強の武将であると結論づけたいと思います。
長々と語りましたが、最後まで読んでくださった方に感謝!
まだまだ面白い武将がたくさんいるので随時追記していきたいと思います。
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