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人はなぜ生きるのか? ~サルトルの「実存は本質に先立つ~

こんばんは。突然ですが、皆さんは「人はなぜ生きるのか?」と考えた事はあるでしょうか。

 

多分、この問を持つ多くの人は、そこら辺のオッサンの「俺は酒を飲むために生きてるんだ!」というような(それはそれで良いのですが)、人生観的なものは求めてないと思うんですよね。

 

もっと人類全体に共通するような、普遍的な本質としての「生きる意味」を模索してると思うのです。

 

そこで今回は、その「生きる意味」を考え中の人にもそうですが、考えて自分なりに答えが出たという人にも刺激になるかも知れないので、哲学的に「人はなぜ生きるのか」を解説したいと思います。

 

実存主義的な考え方

 

「人はなぜ生きるのか」という問に答えを出すために、実存主義という思想に則って考えてみましょう。

 

たとえば、コップという存在を考えた場合、まずは「水を飲む」という目的があって作られてるわけですよね。

 

これはコップだけでなく、スプーンとか、パソコンとか、なんでもそうです。

 

目的があって工場などで作られるわけです。

 

こういう目的を実存主義では「本質」と言います。

 

また、コップやスプーンや、人間もそうですが、そういう存在するもののを事を「実存」と言ったりします。

 

 

 

では人間はというと・・・、よく考えると「目的」ってありませんよね。

 

聖書の中では、人は神様によって作られたそうですが、現実は違いますよね。

 

私は生物学には詳しくないのですが、人って猿から進化して、気づいたら言語を操ってたわけですよね。

 

そして言語によって「人はなぜ生きてるのか」なんて意味を考えていたと。

 

言語を持たない犬や猫は「我々はなぜ生きるのか」なんて考えません。

 

つまり人には作られた目的なんてないのに、その目的を考えても答えは出ません。

 

つまり人が生きていく普遍的な意味は無いのです。強いて言えば自分で選び取って行くしかない。

 

つまり人間の場合は(先程の文章を思い出して欲しいのですが)、実存が本質よりも先にできてるわけですよね。

 

これをサルトルという有名な実存主義の哲学者は「実存は本質に先立つ」と言いました。

 

サルトルは、人間の普遍的な本質は無いから、自分で選び取って行くしか無いんだ、と言います。

 

この選ぶのが面倒くさいので「人間は自由の刑に処されている」なんて言ったりしてますが、この辺の話はまた気が向けば書こうと思います。

 

・まとめ

 

というわけで結論は、一言で言うなら「人が生きる意味なんてない!」という事でした。

 

しかしこれは飽くまで人間の普遍的な意味での「生きる意味」です。

 

それが無いからと言って、人生そのものが空虚なわけでなく、自分で生き方を選べるんだな―と思ってください。