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買ってよかった!料理が死ぬほど楽しくなる器具・グッズ10選!

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おはようございます!今回は料理が長年趣味の私が「これを買って料理がめっちゃ楽しくなった!」と思う器具やグッズを紹介するだけの記事です!

これから趣味として料理を始めようと思っている方、既にそれなりにアクティブにしている方など、料理の幅を拡げるために参考にしていただければなと思います。

 

目次

 

・料理ができるとココが良い!

料理ができる事によるメリットは挙げるとキリがないです!

一つは家に居ながら超美味しい料理を食べられる点です。自分一人の時はもちろん、友達とホームパーティしたり、近所におすそ分けなどをしても喜ばれます。

そしてやっぱり、店の味とほとんど変わらないような料理を作る事も可能なので、「自分でもこんなに上手にできるんだ!」という喜び、成長感に繋がりますね。

そして上手くできれば当然ながら楽しくなって来ますし、相乗効果も生まれます。

また、料理を通じて友達が増えたり、ネットで発信してコンテンツに出来たりするので、本当におすすめです。

 

・料理は初期投資が大事!

やっぱり料理は器具一つあるかないかで全然違います。器具が揃ってないと、ちょっと凝った料理を作ろうと思えば「やっぱりこれが必要なのか・・・」と諦める事になったり。同じ料理を作る場合でも、味が全然変わってきたりします。

また、調理時間や手間なども全然違ってきますね。例えば圧力鍋なら数十分でできる料理でも、なければ数時間掛かったりする事もあります。

という意味で、料理のバリエーションや質を増やし、ストレスを溜めない為にも、調理器具に初期投資する事は必要です。

 

・私がおすすめの器具やグッズ10選!

1.ティファール 圧力鍋

 いろんな便利な調理器具の中でもダントツでおすすめなのが圧力鍋です!

圧力鍋のメリットといえば「圧倒的な時短」ですね。料理の中には普通の鍋だと数時間煮込むものも普通にあるわけで、そんなのやってられないよと。

そこで圧力鍋だと食材に圧力を掛ける事で、一気に調理時間を短縮します。

味的にも食材の旨味を思い切り引き出すので、料理の質がグンと上がりますね。もう使ってみると便利すぎて手放せない器具だと思います。

 

2.スミカマ (SUMIKAMA) 霞(KASUMI)

料理をする上で「包丁」にこだわるのもメチャクチャ重要です。

そこでオススメなのが、このスミカマの「霞」という包丁。もう使ってみると驚くと思います。

これまで使ってた包丁の切れ味がメッチャ悪かったんだなぁ、と実感できます。食材のカットがめちゃくちゃ楽になりますね。

切れ味もなかなか落ちません。落ちたとしても研げばすぐ回復します。

柄の部分もよく木製になってるナイフは多いですが、こちらはプラスチック製なので錆びる事も全くありません。

余談ですが見た目も青色でカッコいいので使っててテンションが上がりますね。本当に一生モノの包丁なので、こだわってみるのがオススメです。

 

3.FUKAI さくさく石窯ピザメーカー

ピザ焼窯なんか作らなくても、これがあれば本物のピザ焼窯を簡単に再現してくれます!

もうお店で食べるプロの味となんら変わらないピザがすぐできるので、テンション上がりまくりですね。温度調節やタイマーも付いてて、覗き穴からいつでも焼き具合が見れるので、使い勝手も最高です。

友人が来た時にこれでピザを振る舞えば大好評ですし、ちょっと美味しいものが食べたい時にもおすすめです。具材も全然安いのでオッケーなので経済的です!

 

4.GLUDIA 低温調理器

低温調理器とは何かというと、料理を低温で調理できる器具です(そのまんまですね)。

これ自体が熱源になってるので、鍋に入れるだけで簡単に調理できます。

もうね、初めて使った時は驚くと思いますが、お肉はもちろん、野菜や魚など、素材の旨味がめちゃくちゃ引き出せます。これまで食べた事がないのような、高級料理屋さんの味を簡単に再現できますね。

これも圧力鍋と並んで、個人的にはダントツでおすすめできる器具です。使ってみると世界が変わります。

 

5.LAHUKO ミキサー

ミキサーも1台あるとめちゃくちゃ便利です!

とにかく野菜ジュースや果物ジュースなどが超簡単に作れます。これを買う前はちょっと野菜不足が心配だったのですが、とにかく何でもジュースにして飲むようになってからはしっかり摂れてて、体も楽ですね。

こちらのLAHUKOのミキサーはボトルの部分だけ取り外して携帯もできるので、外で飲み物を買う必要もなくなってすごく経済的です!

 

6.家庭用 真空パック

真空パックを簡単にできる料理グッズです!

「普通に自分でシップロックなどに入れればよいのでは?」と思うかも知れませんが、やっぱり全然違います!これまで冷蔵や冷凍をしていたものが、かなり味や風味が飛んでたんだなぁと実感しますね。

しかも普通に自分でやった場合と比べて、かなりスペースが節約できます。料理を作りすぎた時でも冷蔵庫が圧迫されにくいので便利ですね。

あとはパックする時のピッタリ感がなんだかクセになります!小さな楽しみが増えますね。

 

7.貝印 KAI T型 ピーラー

基本的なグッズですが、意外と持ってない人が多いのがこのグッズ!

やっぱり野菜の皮などを剥く場合にピーラーがあると全然楽ですね!ナイフなどと比べて手も切りにくいので安心です。

そしてこの貝印のピーラーはめちゃくちゃ切れ味が良いです!私も普通に100円ショップのヤツを使ってましたが、あまりの切れ味に驚かされました。

意外と「剥く」という作業はめんどくさかったりするので、一つ持っておきたいですね。

 

8.iwaki(イワキ) 耐熱ガラス

地味ですが耐熱ガラスの容器もあると便利です!熱々の料理を作った時にそのまま入れる事ができます。プラスチックだと溶けたりするのが心配ですよね。

そして料理を作ってここに入れておき、ホームパーティだと皆で少しずつ取り分けて食べたり、一人で食べる場合も余ったらそのまま保存してチンできます。

普通に耐熱皿でも代用できるのですが、やっぱり容量が全然違いますね。一つ持っておくと楽です!

 

9.曙産業 レンジでらくチン

サンドイッチを作るとき、ちょっと小腹が空いたとき、サラダに彩りを出したいときなど、ゆで卵がほしい時ってありますよね。

これは面倒くさいゆで卵がレンジで簡単にできるグッズです。水を入れて中の容器に卵を入れるだけなので、めちゃくちゃ簡単ですね。

似たようなグッズは色々あるのですが、こちらは最大で4人用ながらも1、2人分から作れるのがすごく便利です!

 

10.パスタゆで容器PS-G62

パスタって茹でるのがめんどくさいですよね。そこでレンジでチンするだけでパスタが茹で上がる容器もあります!

驚きなのは、普通に茹でた場合と比べて味やコシなどが全く変わらないところです。これは初めて使った時に驚きましたね。

やっぱり大量の水を沸かして、コンロを一つ使う事を考えれば、こっちの方がめちゃくちゃ楽です。空いたコンロでソースを作ったり、別の料理を作れますからね。

 

 ・まとめ

以上、おすすめの調理器具やグッズを紹介させていただきました!

当たり前ですが、私のこれらの容器を全て揃える前に悩んだりして時間が掛かったので、一度に全て揃える必要はないと思います!

まず気に入ったものから、なにか一つ試していただければ幸いです。

最後までご覧いただきありがとうございました!何かしらこの記事がお役に立てれば嬉しいです!

猫背・姿勢矯正に。正しい姿勢が取りやすいオフィスチェア5選。

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おはようございます。突然ですが「猫背を改善したい!」「もっと立ち姿を綺麗にしたい!」という悩みをお持ちの方、結構多いですよね。

単純に姿勢に気を配ったりするのも良いのですが、毎日座るオフィスチェア・デスクチェアを変えてみるのはどうでしょうか。

今回はそんな姿勢をよくするオフィスチェア・デスクチェアの紹介です。

 

目次

 

・姿勢を矯正するオフィスチェア選びのポイント!

まず一番重要なのは座面です。骨盤をしっかり正しく支えられているかどうかが重要です。

よくネットなどで「姿勢を矯正するクッション!」などが売ってますが、根本的に椅子が悪かったりすると意味がありません。そもそも、椅子とは多少なりとも凹凸があるもので、その上になにか敷くのはミスマッチを起こすと思います。

なのでやはり椅子の座面にこだわるというのが一つ。もう一つはやはり背もたれの部分で、形状などが腰へのサポートに優れているかどうかです。

この2点を考慮しながら、おすすめの椅子を紹介して行きたいと思います。

 

1.Hbada オフィスチェア

「白はちょっと・・・」という方向けに、普通に黒を基調としたバージョンもあります。

とにかく「長時間座っても疲れにくく」をコンセプトに、機能性に特化した椅子です。すごく優れた構造をしています。椅子全体が腰に掛かる普段を減らし、かつ正しい姿勢を保つように出来ています。

少し座っていだければすぐ「これは座りやすい!」というのが分かっていただけると思います!

【寸法】幅68×奥行47×高さ116-128cm(座面高:44-52cm)

【素材】メッシュ・鋼製ベース・PUナイロンキャスター・高密度ウレタンフォーム

【多機能】約155度無断階リクライニング・可動式アームレスト・調節できるヘッドレスト・座面昇降・360度回転

 

2.Presea デスクチェア

あまり職場などに派手なデザインのオフィスチェアは持ち込めない、という方向けにシンプルだけど高機能な椅子です。

シンプルだけど、座ってみると体をしっかり支えて入れているのがわかります。体を支えられている感覚がすごくしっかりしてますね。

そして背もたれの曲線もとても体にピッタリ来やすいです。背骨がしっかりホールドされて、サポートされているのがわかります。

色:ブラックシェル

サイズ:60.6cm×61cm×79.5cm

座幅:450mm

 

3.RayGoo オフィスチェア

椅子の座面というのは硬すぎても柔らかすぎても座りにくいですが、こちらのRayGooのオフィスチェアは丁度いい硬さで、座りやすいです。

ハイバックで腰から肩、首までを包み込んでくれて、腰に掛かる負担をしっかり分散してくれます。長時間のデスクワークでありがちな体のこわばった感じなどがなくなって、すごく楽になりますね。

おまけに仮眠も取る事ができる椅子で、オットマンが付いてて170度のリクライニングが可能です。書斎などで少し仮眠を取りたい時は、すごく助かりますね。

【寸法】オフィスチェアのサイズ:幅64×奥行52×高さ115-125cm(座面高:42-52cm)、耐荷重:500kg。

【デスクチェア素材】オールメッシュ生地背もたれ・アルミ合金製ベース・耐久性のあるウレタン樹脂製キャスター((傷つきにくい静音タイプ)・高密度ウレタンフォームシート

【多機能】オトマン付き・約170度リクライニング・座面昇降・360度回転・取り外し可能ヘッドレスト・調節可能ランバーサポート

 

4.GTRACING ゲーミングチェア

今話題のゲーミングチェアと呼ばれる椅子で、もともとは一日に10時間から15時間ぐらいゲームをすると言われるプロゲーマーの為に作られたオフィスチェアです。

とにかく正しい姿勢が取りやすいですね。単に座り心地が良いだけでなく、コクピットや運転シートのような、集中力が保ちやすい感覚がします。

ヘッドレスト、ランバーサポートなど、専用のクッションが付いてる点も便利ですね。

【商品仕様】サイズ:幅67.31×奥行57.15×高さ120.65cm~132.08cm

本体重量:約24.18kg  張り材:PUレザー

 

5.DEVAISE オフィスチェア

 人間工学に基づいて作られた、S字カーブの背もたれが正しい姿勢の補助をしてくれるオフィスチェア。

体圧分散にも優れていますし、ランバーサポートも付いてて、クッションも硬すぎず柔らかすぎず座りやすい、まさに理想的な椅子ですね。

耐荷重が大きい、メッシュで通気性が良い、キャスターも床への傷が付きにくいなど、細かい機能性にも優れています。非常におすすめです。

【商品仕様】寸法:幅640*奥行525×高さ1155~1235mm(座面高さ:470~550mm) 。

素材:メッシュ・強化ナイロン樹脂・PUナイロンキャスター・高密度ウレタンフォーム 。耐荷重:150KG。

 

・まとめ

以上、猫背などの姿勢を矯正するという目的でおすすめのオフィスチェアを紹介して来ました。

まぁ結論から言うとどれも良い椅子ですね。何を選んでも大きな失敗はないと思います。

やはり色合いなど、オフィスで使うのか書斎で使うのか、TPOに合ったものを選んでいただければなと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました!

最強の武将は誰!?武勇、知略、統率力など、戦国武将ランキング!

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画像引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sekigaharascreen.jpg

数々の名将がしのぎを削った戦国時代。

そんな戦国時代でも「最強の武将は誰だろう?」と、歴史好きならば一度は考えた事があるのではないでしょうか。

しかし議論しても大抵は答えが出ません、なぜなら「最強」の尺度の置き方によってどうとでも言えてしまうからです。

そこで今回は、

①武勇編

②知略編

③内政編

の3つに大きく分けて、更にそれぞれの編をいくつかの部門に分けて紹介したいと思います。例えば武勇編ならば、総大将部門、一指揮官部門、一兵卒部門など、それぞれ最強の武将を決める。

そして、それらを分析した上で、最終的に最強の武将は誰なのか?という結論を出したいと思います。

「要するに最強の武将って誰だよ!?さっさと言え!」という人は最後まで飛ばしてください。

また、もちろん筆者の主観でランキングをつけてるので、好きな武将が載ってなくても怒らないでください。

 

○こちらの記事もおすすめです○

kumakuma30.hatenablog.com


 

目次

 

①武勇編

・総大将部門

合戦全体を指揮したときに一番強いのは誰か?

3位 上杉謙信

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 画像引用:上杉謙信 - Wikipedia

上杉謙信の何がすごいかと言えば、少ない兵力で勝ち続けた事です。

当時の新潟は今のような米どころではなく、あまり兵糧を用意できませんでした。それでも謙信は合戦では高い勝率を誇り、勝てなかった合戦でも何とか引き分けに持ち込む事が多かったわけです。

中でも川中島の戦いは有名ですね。あの武田信玄を相手に、数で劣っているにも関わらず武田信繁山本勘助を討ち取って痛み分けに持ち込みました。武田陣営の兵糧を炊く煙がいつもより多く登っているのを見て、「これは奇襲が来る」と読んで勘助の啄木鳥戦法を見事に打ち破りました。

もう一つ有名な戦といえば、柴田勝家を返り討ちにした手取川の戦いです。織田軍が川を渡りきるタイミングで謙信率いる上杉軍が現れ、準備もできておらず逃げる事も困難な織田軍は大ダメージを受けました。

このように武田信玄柴田勝家など、かなりの手練を相手に勝ち続けたというのが上杉謙信の凄いところです。

 

2位 毛利元就

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画像引用:毛利元就 - Wikipedia

 謀略家として有名な人物。しかし合戦の方も強く、なんと勝率では戦国大名でナンバー1です。

中でも有名なのは厳島の戦いでしょう。たった4千から5千の兵力で、2万とも3万とも言われる陶晴賢軍を打ち破ってしまいます。

元就のような知略タイプの武将は、普段からコツコツと内政をして相手より多くの兵力を用意して勝つというパターンが多いです。しかし元就の場合は内政はもちろん、厳島のように絶望的な戦いもひっくり返してしまいます。

その粘り強さと、普段の勝率の高さも相まって2位という事にしました。

 

1位 朝倉宗滴

知る人ぞ知る名将。

浅井亮政という、これまた中々の名将がいるのですが、その亮政の守る小谷城の一角に5ヶ月も居座ったという話もあります。

しかしやはり一番有名なのは九頭竜川の戦いでしょう。

なんと30万人もの一向宗を相手に、宗滴はたった8千人から1万6千人ほどの軍勢で戦います。

そして夜襲を仕掛け、見事勝利してしまいます。

この時の一向宗の数や強さには諸説あるのですが、多少の幅があってもとんでもない大逆転だと言えるでしょう。

そしてその後もなんと79歳まで戦い続け、陣中で病没したと言います。

数々の戦陣訓や家訓も残しており、もっとも敵に回したくない武将は誰か?と考えた時に朝倉宗滴が浮かんだので、1位にしました。

 

・一指揮官部門

全軍の総大将ではなく、数百から数千ほどの一部隊を指揮した場合に強いのは誰か!?

世間で「最強の武将」というとこの定義である場合が多いです。

3位 立花宗茂

「東国最強」と言われていた本多忠勝と並び、西国最強と言われていた武将。

実父の高橋紹運、養父の立花道雪も名将として知られています。

宗茂の最初の晴れ舞台は、やはり立花山城の戦いです。たった3千の兵と籠城し、九州統一を目前としていた4万の島津軍を相手に奮戦。

本陣を奇襲するなど遊撃戦を展開し、一時は撤退させるなどして、見事に豊臣秀吉の援軍が来るまで持ちこたえます。

豊臣政権下でも朝鮮出兵などで活躍。特に碧蹄館の戦いは有名で、敵の明軍の兵力は不明な点が多く、4万とも15万とも言われますが、とにかく宗茂はたった3千の兵で撃破してしまいます。

秀吉没後も、関ヶ原の戦いで大津城を攻略するなどの活躍を見せますが、属していた西軍が負けたため改易されてしまいました。

しかし改易後も島原の乱に参加したり・・・などと、とにかく武名を上げていくと本当にキリがありません。

まさに西国最強の武将に相応しいでしょう。

 

2位 本多忠勝

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画像引用:本多忠勝 - Wikipedia

よくゲームなどでも「戦国最強!」と言われている武将。

武田軍に「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八」と評された他、織田信長豊臣秀吉にも評価され、徳川四天王徳川十六神将・徳川三傑にも数えられています。

姉川の戦いで朝倉軍1万に単騎で突撃したり、三方ヶ原の戦いで3千人を率いて殿をして2万7千の武田軍を食い止めたり、小牧・長久手の戦いではたった500の兵で16万の豊臣軍の前に立ちはだかったり・・・、

と、この武将の武名も上げていくと本当にキリがありません。

しかもこれだけの戦火をくぐり抜けて、なんと戦で傷を負った事は生涯なかったそうです。

さすがに話を盛られているのではないか、と思いますが、とにかくものすごい武将であったのは確かでしょう。

 

1位 島津義弘

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画像引用:島津義弘 - Wikipedia

やはり1位は島津義弘以外に考えられません。

義弘の有名な武勇は2つ。一つは朝鮮出兵泗川の戦いで、七千の兵を率いて二十万の明・朝鮮の大軍を撃破し、敵からも「鬼石曼子(グイシーマンズ)」と恐れられます。

徳川家康もこの戦いを「前代未聞の大勝利」と評価しています。

そしてもう1つは、「島津の退き口」と呼ばれる撤退戦です。

関ヶ原の戦いで、義弘は様々な事情があって不本意ながらも西軍についていました。

しかも西軍総大将の石田三成にも軽視され、戦意を失った義弘は戦いに参加しようとしませんでした。

そして小早川秀秋が寝返り、西軍が総崩れとなって石田や宇喜多など西軍主力が敗走する中、義弘も撤退を決意します。

そしてなんと後方に撤退するのではなく、前方の伊勢街道を目指して、敵軍の正面に飛び込んでいきます!

この時、義弘の兵力はたった300、敵の東軍は7万だったと言われますが、まずは前方の福島正則隊を突破し、東軍本陣の徳川家康の陣の前まで迫ったところで転進し、伊勢街道を南下していったと言います。

もちろん転進してからも、本多忠勝や赤備えの井伊直政松平忠吉などの徳川の猛者が追撃してきましたが、義弘は「捨て奸」といって足止めの兵を配置しながら撤退し、なんとか逃げ切りました。

歴史にifは禁物だと言われますが、もし義弘が十分な兵を率いて本格参戦してた場合、歴史は大きく変わっていたのではないかと思います。

義弘も例によっていろんな武名(たとえば九州での戦いなど)がありますが、書いてくとキリがないぐらいなので割愛します。

 

・一兵卒部門

単騎で強かったのは誰か!?

上泉信綱塚原卜伝柳生宗厳足利義輝宮本武蔵佐々木小次郎などの剣豪は殿堂入りという事で。。。

3位 佐竹義重

北条家との戦で先陣に立ち、一気に7人も切り伏せたという事から「鬼義重」と呼ばれていました。

他にも、同じく北条家との戦で敵の騎馬武者を叩き割ったりなどの逸話があります。

伊達政宗とも互角以上に戦った人物ですし、恐ろしい人物であったのは間違いありません。

 

2位 可児才蔵

宝蔵院流という槍術の流派の開祖・胤栄に直々に槍術を学んだとされる、槍の名手。

戦いでは討ち取った首を持ちきれず、笹を担いで討ち取った相手の口に笹の葉を加えさせ「笹の才蔵」と呼ばれました。

関ヶ原では17人もの首を取りました。これは東軍で一番多く、家康からも賞賛されたといいます。

 

1位 真田幸村

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画像引用:真田信繁 - Wikipedia

真田丸の影響もありこの武将を入れたかった・・・というのもありますが、感情論だけではなく、個人として相当強かったのも確かでしょう。

第二次上田合戦では夜討ちや朝駆けなどのゲリラ戦を主導していたそうです。

そして大阪夏の陣でも、16万とも言われる徳川勢に突撃して本陣まで攻め込み、「日本一の兵」と呼ばれます。

十文字槍の達人という事もあり、自ら先陣を切って突っ込んでいった武将が実は少なかった戦国時代において、やはり個人の武という点でも突出したものがあったのは確かでしょう。

大阪夏の陣での活躍がよくピックアップされますが、それまでの石田三成大谷吉継直江兼続伊達政宗とのストーリーももっと知っていただきたいですね。

 

②知略編

・軍師部門

主君の右腕として、参謀役としてもっとも優れていたのは誰か?

3位 太原雪斎

今川家を軍事・内政の両面から支えた名軍師。今川義元徳川家康の教育係としても有名です。

そしてあの甲相駿三国同盟の立役者だと言われています。

実は甲相駿三国同盟は今川家にもっともメリットが大きい同盟で、武田家は太平洋へ出られず、北条家は上洛の道を閉ざされ、今川家だけが背後を固めて上洛に専念できるという同盟でした。

こうした今川有利な同盟を組めたのは、やはり当時は今川家がもっとも影響力が強かったという事でしょう。

信玄率いる武田家や氏康率いる北条家を相手に優位に立ち、外交でも有利な条件を押し切ってしまう手腕は流石といえます。

特に武田信玄は今川家には完全に一目置いていて、一切手を出せなかったそうです。あの山本勘助も存命中であるにも関わらずです。

ちなみに山本勘助は雪斎没後に「今川家の事、悉皆坊主(雪斎)なくてはならぬ家」とも語っています。

また、三国同盟の締結後は武田と上杉の戦いでも今川家は援軍を出してますし、間接的には上杉謙信宇佐美定満なども翻弄していたという事でしょう。

尤も、上記に挙げた面々とどのぐらい接点があったのかは不明ですが、戦国時代でももっとも群雄割拠だった時代において、今川家を頭一つ抜けた名家に仕立て上げた手腕、功績はとてつもないと言えるでしょう。

 

2位 竹中半兵衛

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画像引用:竹中重治 - Wikipedia

言わずと知れた名軍師。

斎藤家の家臣時代には、十面埋伏陣と呼ばれる伏兵戦法で織田信長を翻弄したり、稲葉山城をたった16人で奪取したというエピソードがあります。

その後、秀吉に従えてからも数々の功績を挙げますが、程なくして36歳という若年で病没。

実はいうとそんなに実態がわかってない武将だそうですが、江戸時代の講談で黒田官兵衛とともに天才軍師のイメージが固まり、現在も非常に人気の高い武将です。

 

1位 黒田官兵衛

竹中半兵衛と同じく、豊臣秀吉の名参謀として知られる武将。

秀吉の天下統一の一番の立役者と言っていいでしょう。彼が中国大返しを進言しなければ、秀吉が天下を取っていた確率は低い。

この方もエピソードを挙げ始めるとキリのない武将ですが、中国大返し以外では小田原征伐北条氏政を説得し、無血開城させたという話が有名でしょう。

とにかく歴史の要所で活躍しているので、官兵衛がいなければ日本の歴史は大きく変わっていたと思われます。

あと個人的に知っていて欲しいのは、官兵衛は関ヶ原の合戦のときは九州にいましたが、この時は兵を集めて大友家などを破り、ものすごい勢いで九州を進軍していた事です。

関ヶ原小早川秀秋の寝返りで6時間で終わってしまいましたが、当初は一ヶ月は続くと予想されていました。

もし関ヶ原が予定通りに長引いて官兵衛が九州を統一していれば、家康に並ぶ勢力になるわけですし、これまた日本の歴史は大きく変わっていたでしょう。

そんなわけで、やはり飛び抜けて知略に優れた武将だと思うので1位にしました。

 

・謀略家部門

謀略の限りを尽くして成り上がった武将たち。

3位 斎藤道三

謀殺や毒殺、追放などを駆使し、油売から一国の城主にまで成り上がった武将。

北条早雲松永久秀と並んで戦国三大梟雄と呼ばれるほどの謀将ですが、そもそも秀吉などに代表されるように戦国時代は成り上がりの時代ですし、暗殺の数も(2位1位の武将と比べて)そんなに多くはないので3位にしました。

娘の農姫は織田信長正室。道三は信長と初対面で才能を見抜いたといいます。

 

2位 宇喜多直家

 ミスター暗殺。毛利元就尼子経久と並んで「中国三大謀将」に数えられています。10人程の人間を暗殺した武将(道三はわかってる範囲では2人程)。

またその暗殺もバラエティーに富んでおり、日本で最初に鉄砲による暗殺をしたのは直家だそうです。

暗殺の相手も娘婿や嫁の実家などであり、いかに残忍な人物であったかがよくわかります。

時代が時代とはいえ「それ、暗殺までする必要あったの?」という場合もあり、ひょっとすると殺人を快楽として楽しんでいたのかも知れません。

直家の実弟宇喜多忠家は、兄と合うときは必ず鎖帷子という鎧のようなものを着ていたといいます。

 

1位 松永久秀

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画像引用:松永久秀 - Wikipedia

ミスター謀略。戦国時代の謀略家と言えば真っ先に名前が上がる人物。

松永久秀は天文2年(1533年)頃、三好家の当主である三好長慶に従えます。

その後、三好家は紆余曲折があって細川晴元や将軍足利家と敵対するも、久秀の活躍もありなんとか細川家や足利家を撃破します。

それでも長慶は将軍家を蔑ろにせず、なんとか和睦して将軍家を立てつつも自らが実権を握るのですが・・・、

ある日突然、長慶の弟の三好一存が急死します。

続いて同じく長慶の弟の三好義賢が戦死し、長慶の嫡男である三好義興も病死。

三好家の後ろ盾となってた細川氏綱(同じ細川姓でも晴元と対立して長慶に協力してた人物)も病死してしまいます。

この相次ぐ死去に恐らく久秀が絡んでいたとされています。とにかく亡くなった三好家一門の役割を久秀が引き継ぎ、久秀の権力は拡大していきます。

その後、久秀は長慶の最後の弟である安宅冬康に濡れ衣を着せて謀殺。そしてついに長慶も病死してしまいます。

長慶の死後、久秀は「三好三人衆」という三好家の有力者と手を組み、長慶の甥の三好義継を担いで実権を握ります。

そしてその後、久秀は三好三人衆と共に上洛し、なんと長慶が立てていた将軍家を襲撃。将軍・足利義輝を殺害していまいます。これがあの永禄の変です。

 この時に抜け出した義輝の弟・義昭が織田信長に助けを求め、それが信長上洛のキッカケになるのですが・・・、

とにかくこの後、久秀は近畿の覇権を巡って三人衆とも対立し、勢力争いを繰り広げる事になります。

その争いの中で久秀は三人衆が陣を張っていた東大寺を奇襲、なんと東大寺大仏殿を焼き払って大仏様の首も落ちてしまいます。

後に織田信長徳川家康松永久秀を紹介するとき、この「三好家乗っ取り」「将軍殺害」「東大寺焼き討ち」の3つを指して「この男は常人にはできない大罪を3つも犯した」と語ったそうです。

しかしその後、三人衆との争いも久秀が劣勢となっていきますが、その時ちょうど織田信長が上洛。久秀は信長に降伏して家臣となりますが、その後なんと2度も信長を裏切り、二度目の裏切りのときに追い詰められて爆死したといいます。

とにかく、こんな風に目的の為ならとことん手段を選ばない残忍な武将がいたのも戦国時代の面白さかも知れません。

 

③内政編

・大名部門

もっとも政治力に長けていた大名は誰か?

3位 武田信玄

治水工事や金山開発の達人。

信玄が作った堤防「信玄堤」は今も残っています。この堤防によって水源が作られ、戦でも重要となる兵糧が作られました。

また甲州金という独自の貨幣制度を作り、それが江戸時代の貨幣制度の参考になったとも言います。

 

2位 北条氏康

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画像引用:北条氏康 - Wikipedia

内政家として有名な人物。

 四公六民や目安箱、官僚機構の創設など、領民中心の政治をしていたようです。

なので北条家の後に関東を治める事になった徳川家康は、領民が北条家を慕い続けていたのでなかなか統治に苦労したようです。

また秀吉よりも先に検地を行ったそうです。

江戸幕府も氏康の政治を見習っている部分があり、先進的な人だったのかも知れません。

 

1位 織田信長

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画像引用:織田信長 - Wikipedia

1位はやはりこの方以外に考えられません。

楽市楽座や関所の廃止など、非常に大胆な政治をしていました。

また、兵農分離によって収穫期に関係なく戦を起こせるようになったのも大きいでしょう。

また南蛮貿易も積極的に推進しましたし、とにかく革新的な政策が次々思い浮かぶのは本当に凄いなと思います。

 

・奉行部門

大名の下で実務面を支えた方々。

3位 石田三成

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画像引用:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ishida_Mitsunari.jpg

 石田三成といえば関ヶ原の戦いの西軍大将として有名ですが、検知や外交交渉、諸大名の揉め事の解決など、実務で豊臣政権を支えました。五奉行の筆頭である点も敏腕さの証左と言えるでしょう。

どうしても「切れ者だが人付き合いに難があり、多くの武将の反発を買った」というイメージがありますが、江戸時代に徳川を脅かした人物として悪く書かれていたのは事実であり、後世の創作による点が大きいでしょう。

実際は島左近のように三成に忠誠を誓った家臣、大谷吉継のように運命を共にしした盟友もたくさんいます。宇喜多や毛利、上杉を曲がりなりにも動かした事からも、そこまで悪い人物ではなかったのかな、と思います。

 

2位 丹羽長秀

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織田家に無くてはならない存在として「米五郎左」と呼ばれました。とにかく内政を重視する織田信長に内政面で重用されていた事からも、相当な実務家であった事は間違いありません。

安土城で普請奉行などの行政の仕事をそつなくこなし、合戦では兵站で大いに活躍しました。

「戦は準備が8割」と言われる事もありますが、まさに内政や兵站の重用さを考えても、織田信長の天下統一の影の立役者だった事は間違いないでしょう。

 

1位 大久保長安

もともとは武田家で猿楽師をしていましたが、信玄に見いだされて家臣となり、黒川金山の開発などに従事します。

武田没後は徳川家に使え、甲斐復興の実務を担い、わずか数年で甲斐を復興させました。家康が関東に移ってからは関東代官頭に任命されます。

そして関ケ原の戦いの後、豊臣家の直轄地だった金山が徳川家のものになった事もあり、大和代官、石見銀山検分役、佐渡金山接収役、甲斐奉行、石見奉行、美濃代官などを、なんと兼任で任されます。

更に佐渡奉行や所務奉行にも任命され、ついに年寄(後の老中)にまで登り詰めます。その後に伊豆奉行などにも任命され、「天下の総代官」と呼ばれるようになります。

徳川家直轄の150万国を実質的に支配し、里程標を考案したり、土地台帳を作成したりと、現代にも通じる優れたシステムを作りました。

ほぼ外様のような立場から唯一老中に登り詰めた存在であり、江戸幕府の礎を築いた数々の名奉行の中でも屈指の切れ者だった事から、選ばせていただきました。

 

●結局、最強の武将は誰か?

さて、最強の武将なんて定義によって何とでも言えるんだ、という事を説明してきましたが、

その上で、あえて最強の武将を選ぶなら織田信長だろうなと思います。

なぜなら織田信長がいないと戦国時代は終わらなかったからです。

というのも、戦国大名が支配した領地を石高にしてみると、

竹田信玄は130万石、上杉謙信は145万石、毛利元就は120万石程度だそうです。

しかし織田信長が支配した領地は、なんと600万石から800万石だと言われています。

秀吉や家康はそれ以上の領地を手にしましたが(直轄地という意味では少ないかも)、

秀吉は信長の地盤を引き継いだし、家康も秀吉の地盤を引き継いだわけで、

やはり信長が存在しなければ秀吉や家康の天下も無かったでしょう。

また、信長の凄いところは、戦は始まる前の段階で決まるというのを理解していた事です。

長篠の戦いが象徴的ですが、これでもかというぐらい準備を徹底して戦を起こす。

凄いのは、信長は若い頃に奇襲で今川義元に大逆転を果たしたのに、それでもその経験に酔わなかったところです(もっとも桶狭間でも入念に準備をしていましたが・・・)。

また、秀吉や蒲生氏郷の才能を見抜いて重用したり、他にも柴田勝家丹羽長秀滝川一益前田利家などを適材適所に配置するトップとしての手腕もすごい。

 

そんなわけで、この記事では織田信長が最強の武将であると結論づけたいと思います。

長々と語りましたが、最後まで読んでくださった方に感謝!

まだまだ面白い武将がたくさんいるので随時追記していきたいと思います。

 

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